2012年6月4日月曜日

名水の里黒部:宇奈月温泉の歴史 | 宇奈月町商工会 地域資源∞全国展開プロジェクト事業サイト


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引湯のあゆみ

黒部峡谷で多くの温泉が発見され始めたのは江戸時代のこと。しかし、加賀藩の時代から、 一般人の入山は厳しく規制されていたため、後に宇奈月温泉の源泉になる黒薙温泉の開湯 が許可されたのは、江戸時代末期(慶応4年)のことであった。 大正6年になり、愛本温泉㈱が引湯管を使って、黒薙温泉から当時の内山村荷上(現在の 宇奈月温泉荷上)にお湯を引き、「愛本温泉」という名称で温泉を開湯。同9年には、「愛本ホテル」が建設された。しかし、当時は黒薙温泉から愛本温泉にお湯が届くころには温泉の 温度が低下するという問題があり、お客さんの数も減少し、ほどなくして愛本温泉は閉鎖と なってしまう。


tacoa滝ガ

引湯管の改良

この「温度低下」を解決するため、大正10年、当時日本電力㈱で実務を担当していた山田胖(ゆたか)氏が、「黒薙の湯本で水を少し加えると、もう少し温かいお湯が到着する。」という客の言葉から、流量と流速の関係に気付いた。大正12年に山田氏は愛本温泉で使っていた30cm四方の樋で黒薙~宇奈月間の距離・お湯の到着時間・温度を計測し、湯本から4時間以内に到着させることを目標にした。その後黒薙で毎秒0.8リットルだったお湯を12.6リットルまで増やすことに成功。また、それまで引湯管として使用していた一尺角の木樋にかわり、保温性に優れた赤松の木管で引湯管に変更。さらに、12.6リットルのお湯を最速で流せる管の太さを計算し、直径12cmの大きさに統一させた。一連の工事は同年には終了。「温度低下」の問� ��が解決し、宇奈月温泉の第一ページとなった。


アイリーン·ウェッブと滝川

旅館開業と温泉地としての発展

大正12年には、引湯管事業を引き継いだ黒部鉄道㈱(現在の富山地方鉄道(株))が、宇奈月まで開通し、翌13年に宿舎を旅館風に改造して営業を開始した。さらに、黒部鉄道㈱は、宇奈月温泉が「観光地・温泉場」として有望と考え、富山市内の旅館主や料理店に宇奈月温泉での開業を呼びかけた。その結果、同年、「和田旅館」が最初に開業し、その後「桃原館」「延対寺別館」など次々と旅館が建ち並ぶようになっていった。また、黒部鉄道㈱は、大正15年に、宇奈月温泉をアピールしようと、「我が町三日市」という冊子に宇奈月温泉(温泉街の様子や魅力、将来性、泉質など)を紹介している。しかし、当初は客足が思うように伸びず、温泉街にとって苦しい時期が何年か続いた。転機が訪れたのは、昭和2年ごろ。黒部� ��谷の柳河原発電所の建設工事に携わる関係者が温泉街に入ってくるようになり、徐々に賑わい始め、宇奈月温泉はその後も黒部峡谷の電源開発と共に発展していった。そして、昭和25年には14件、昭和38年には35件もの旅館や保養所が建ち並ぶようになっていった。


イラク06 "衝撃と畏怖"

宇奈月木管事件

このように、栄えてきた宇奈月温泉であったが、過去には、その発展に水を差す
ような事件や災害も。まずは、宇奈月温泉の生命線とも言える引湯管をめぐる宇奈月木管事件」。これは、昭和5年、引湯管が通っている土地をめぐる争いで、日本で初めて「権利の濫用を許さない」という歴史的な判決が下され、民法学史上、特記される事件となった。そして、この法理は、昭和22年の民法改正時、「権利の濫用禁止」という形で明文化されることとなる。なお、研究対象とされている事件の現場が宇奈月ダムの建設により水没したため、現在は下流80m地点に記念碑があり、本事件を後世に永く伝えることとなった。


宇奈月大火からの復興

宇奈月温泉は、集中豪雨などの自然災害にも幾度となく見舞われ、引湯管が破損する被害なども多々あったが、その中でも一番の災害といえるのが、昭和21年5月21日に発生した「宇奈月温泉大火」といわれる火災。当時宇奈月温泉も家屋が350戸余りと発展していたが、この火災により半日でそのほとんどが焼失し、温泉街は壊滅的被害を受けた。火災後、一時は「再起は不可能」 とまで言われた宇奈月温泉であったが、当時の日本発送電㈱黒部川地区電力所長からの支援や旧内山村の村長の力強い復興計画など、官民一丸となり復興に力を注いだ。その結果、昭和33年には、大火以前も勝るとも劣らないほどの活気を取り戻し、同年10月、国民体育大会で富山県を訪れた天皇皇后両陛下を宇奈月温泉にお迎えするまでとなったのである。

そして、その後も宇奈月温泉に関わるすべての方々の努力により、現在では、富山県一の温泉街として繁栄し、県内外から多くのお客様が訪れてくださっている。

 

参考文献



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